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あかびら火まつり

たくさんの赤平市民の想いで開催されるまつり。それが「あかびら火まつり」

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第53回あかびら火まつりの開催について

2024年05月28日
第53回あかびら火まつりの開催について

第53回あかびら火まつり

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 あかびら火まつりのルーツは昭和47年3月に遡る。その当時、赤平市は産炭地の沈滞したムードにつつまれていた。そのムードを一掃するためにも、今まで各地区で行なっていた祭り(商工祭り、赤平神社祭り、赤間山祭り)を統一して、市民こぞって参加する祭りにしようとの声が赤平市民の間から高まった。市もこれを受け入れ、市、商工会議所、地区労、農民協議会の代表約20人からなる統一市民祭実行委員会を設置し、統一市民祭りを開くことを決めた。同年7月14・15・16日に「第1回赤平市民祭り」として実施された。

 赤平市は石炭産業の最盛期には大小23もの炭鉱があったが、エネルギー革命の中で閉山が相次ぎ、離職者とその家族はマチを次々と去って行った。最後に残ったのが住友赤平鉱一山のみ。『なんとかこの山の灯だけは消さないでほしい』と市内の若者(青年会議所)たちが京都の「大文字焼き」にヒントを得て始めたのが現在の『火文字焼き』である。

 赤平神社より赤平の発展の祈りをこめていただいた神火を平岸・茂尻・住友より、また、共和・幌岡・文京町、赤間より、また、住吉・豊里の3コースから若人たちの手から手へと赤平市内を一巡し一つ一つのタイマツが、赤平再開発の願いをこめて一つの大きな炎として集火した、それを旧赤間炭鉱ズリ山に描いた火文字に点火した。

 火をテーマした祭りなので火の神輿を作ろう!そんな発想から誕生した「火神輿」は昭和58年に完成する。なんと初披露は2月に開催した第1回冬の祭典である。火まつりデビューは「第12回赤平市民まつり」。

 昭和61年、これまでの見せる祭りから参加する祭りへとイメージチェンジ。近隣からも人を呼べ、更に市民が情熱の「火」を燃やして総出で参加出来るようにしたいということから、名称を第15回より「あかびら火まつり」と改めた。この時、誕生したのが「火ょっとこ踊り」である。

 平成21年には、赤平小学校のグランドをメイン会場として開催していましたが、その赤平小学校が閉校し会場地が民間企業に売買されたことにより、「第38回あかびら火まつり」より会場を赤平コミュニティ広場に、火文字焼きをズリ山の左斜面に移転する。

 伝統の継承を続けつつも、進化し続けるあかびら火まつり、どんなドラマが起こるのか!


  • タイマツリレー

  • 火っとこ踊り

  • 火神輿

  • 花火大会

  • 火太鼓演奏

  • 市民踊り

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